雄翔館にご来場いただいた皆様のご意見・ご感想を掲載しています。
2018年12月23日
茨城県流山市美原 森 基 (62才)
我々、後世の人間のために尊い命を捧げてくださったことに感謝あるのみです。
土浦、阿見にこのような施設があることを恥ずかしながら今まで知りませんでした。
若者たちの故郷、国、ご両親兄弟を想う遺書を読んで泣けてきます。
ありがとうございました。
今度は仲間たちを案内してたくさん連れてきますね。
2018年12月14日
茨城県本郷小学校 スタッフ一同
本日は、大変お世話になりました。
小学生の子供たちにとっては、難しい文章のため、理解は難しかったと思いますが、
感じ取れるものはあったようです。
座学だけではない、学習の機会を提供してくださりありがとうございました。
2018年08月16日
茨城県土浦市若松町 前島 扶美香 (30才)
20才そこらの彼らが皆一様に敵に向かい散ることが名誉だと、心残りはない、自分には過ぎた家族だと記していたのが印象的でした。
生きて帰ることを願いながらの戦争参加とは違って、自分の命を散らすこと前提に特攻していったその想いは計り知れません。
今を生きる私達は、彼らに胸を張れるのか、ただただ考えさせられます。
戦争の痛みを忘れず、今後も後世に繋いでいく。それだけが私達が彼らにできるなぐさめなのだと思いました。「人間魚雷」その覚悟は我々は可能な限り想像し、痛みを感じなければと思います。
2018年08月15日
茨城県美浦村 坂本 利雄 (70才)
只々 故国の為に散った若者達に感謝するばかりです。
ゆっくりお休みください。
2018年08月15日
千葉県成田市 女性 (63才)
終戦記念日の本日、こちらに伺い 思いを一層深くいたしました。
我が子よりももっと若い少年たちが、家族への思いを胸に、海に散った姿が目に浮かび涙なしでは見学できませんでした。
まさしく現在の日本の繁栄は、これらの方々の働きによるものだということを再確認いたしました。国家の政策として戦争末期に考えられた人命をかけた作戦はムダと知りつつ散っていった一人一人の若者にとって残酷なものとも言えましょうが、私はこれを絶対繰り返したくない。日本の財産(知的経験)と考えています。
私の父も実父も戦争に行った世代です。戦後の働きのおかげで一家がなっていることに改めて感謝したいと思います。
また伺いたいと思います。
2018年08月14日
茨城県小美玉市堅倉 中村 紀子 (49才)
とても、貴重な資を拝見させていただきました。
同じ年ごろの息子が二人いますが、とても考えられず、資料を見ることもつらい思いにかられました。いまこうして戦争がない時代になっているのも、皆様方の時代も手伝って下さっていることと思います。
後の時代にできるだけ伝えようと再認識しました。 ありがとうございました。
2018年08月12日
茨城県つくば市吾妻 小林 和子 (63才)
今回で三度目です。新しくできた記念館ではなく、直ちに特攻隊の方達の声に向き合えるこの場所を、主人にも見せたくて来ました。(終戦記念日直前でもあるし。)
これからも大切に保存・公開して頂ければと思います。涙なしには読めません。
いつの日にか息子や孫も連れてきたいと思います。
BGMやナレーションは不要かと思います。
2018年08月11日
千葉県八街市山田台 中村 秀穂 (69才)
終戦後 4年目に誕生した私ですが、わずか4年前まで有った現実がここに有りました。
今まで数多くの戦記物を読みましたが、この記念館に展示されていたものを一つ一つ時間をかけて見学させていただきました。
その中でお母様からのお守りを見た時、涙があふれてしまい もうダメでした。
たしか4、5個有ったと思います。
これからも永続的に後世にお伝えください。
2018年08月11日
横浜市緑区 荒木 渚 (23才)
私は現在23才です。今回記念館を見学し、まず感じたことは「ほとんどの人が私と同じ歳か歳下である・・・・」です。今の時代ではとても考えられませんが、戦時中の日本ではあたりまえのように感じ、とても胸にくるものでした。
私は今幼稚園の先生をしていますが、今までの人生、これからの人生は昔戦っていた方々のお陰であることを感謝しなければなりません。
貴重な経験をありがとうございました。
2018年08月07日
静岡県 方壁 友子 (45才)
若い十代、勉学にはげみ、とても優秀な方々が後世の我々の平和を願いながら、自らの命を捧げられたと思うと、胸がしめつけられます。
亡くなられた皆さんのことを忘れず、二度と戦いのない日本をつくっていくことを誓いたいと思います。
2018年07月27日
埼玉県和光市広沢 千綾 希望 (18才)
同じ18才の人達が残した遺書を見て泣きそうになりました。今では信じられないことが昔はおこっていて、今の世代がいかに幸せなことか思い知らされました。
自分が同じような立場にいて同じような感謝の言葉を残して国の為に戦うことができるのかと私は無理だと答えてしまう。
昔の人はどんな思いで遺書を書いたのだろうと思うと、字が凄く痛いです。
私も、国、家族、友達を守れるようなかっこいい自衛官になってみせます。
凄くいい体験ができました。楽しかったです。将来自分の子供にも伝えていけるように心に残していきます。
2018年07月15日
石川県小松市今江町 高橋 晶久 (61才)
本日で3回目の訪問になります。最初は自分の息子が20才の時で、同じ年代の若者が、戦死する確率が高いにもかかわらず、国の為、家族の為を思い志願したことに敬服させられます。世間で批判的論調もありますが、出陣前に家族への感謝や日本への思いがつづられれている遺書を見ると、彼らの死に至る想いを尊ばざるを得ない。
管理が防衛省から阿見町に移ったと聞きましたが、国が管理すべきではないでしょうか。
2018年07月15日
銚子市笠上町 尾野 重雄 (87才)
返り見はせじと 征きし勇者のあとにつづけず
吾ら老いたり 辱かしの日々
八十七翁
2018年07月08日
福島県いわき市中央台 長谷川 ゆみ子 (56才)
初めて見学させていただきました。私が生まれるわずか25年前に、終戦となり多くの若者が 日本国のために戦い戦死されました。物心ついて見てきた日本の景色は、まるでそんなことを感じ取ることができない平和な姿でした。
わずか20才ともならないような若者が、日本国のため家族のため ためらわず笑顔さえ浮かべて戦地に赴く姿は、あまりにも神々しく感じます。
凛とした姿はあまりにも美しく、その尊さは残された人々の魂さえも凛とさせてしまう感化力を与えてしまうように感じました。自分の命よりも尊いものを守るため、まだ幼い若者が命を捧げきる姿、同じ年ごろの子供を持つ母親として息子の姿をそこに重ねた時、どうしようもない切なさで胸がいっぱいになりました.
今自分がどのように生きることが、その若者たちへのご恩返しになるのか、と考えさせられました。
2018年07月08日
福島県いわき市小名浜 齋藤 一成 (52才)
二度目の観覧です。今回は時間を割いてゆっくり見させて頂きました。遺稿、遺書と言っても良いのでしょうか。若年ながら、その達筆ぶりに舌を巻いてしまいます。厳格ながら優しい人柄が偲ばれる文面、国や家族を思う気持ちを高度な言葉遣いで表現されています。
本当に昔の日本人は優秀でした。このように素晴らしい若者が、生きていたらどんなに凄い仕事をしたことか。私たちは、同じ日本人として誇りを持ち、この偉業をこの精神を後世に伝え続けなければなりません。
2018年06月17日
札幌市清田区美しが丘 原 みつえ (80才)
予科練の音楽が流れていて、お一人の戦争のことがガラスごしから、深く深く思い知らされてきます。私は戦争中、小学校1年生でした。疎開をしたり、父の病気で口べらしに、知らない土地へ養女に出されたりしていました。現在の若い人たちには一人でも多くこの現実を見て、聞いて欲しい。今ある平和は戦争で亡くなった若い方々の犠牲で平和があると・・・。
2018年06月13日
美浦村大須賀津 高力 弘一郎 (73才)
あらためて、あの戦争におもむいた人々の心が浮かんできます。あの体験を、これからの日本は、いかさなければと思います。管理も十分に行き届いており有り難うございました。
(私の父は陸軍少佐でした。)
2018年06月08日
常総市水海道橋本町 渡辺 好子 (74才)
コーラスグループで来ましたが、初めて来館した者が多く皆感動していました。
今の幸せは、ここに展示されていつ方々のお力であると思います。
毎日を大事に、ていねいに生きてゆきたいと思います。ご冥福をお祈り致します。
2018年05月06日
つくば市島名 川下 早苗 (82才)
当時の事を思い出します。
このような豊かな時代に生きている自分が、感謝の心でいっぱいです。
これからの人生も主人と共に健康であり、無事故で過ごしたいと願いつつ、見学させて頂きました。私たち夫婦も戦争を体験しましたが、子や孫には、あってはならない事を願っております。
2018年04月17日
大阪市北区大淀南 高須 章 (60才)
日本を守るため、日本人の女子供の命を未来に永続きさせるため、命をかけて戦っていただいた方々に感謝致します。
今も貴重な遺品、遺書を拝見させて頂き、日本を守る心を実感させて頂けたことに感謝致します。雄翔館の屋上に上がらせて頂きました。屋根の中央の防水が大きく切れているのを発見しました。
雨、風、温度等により更に大きくなり、雨が貴重な遺品を損傷させる原因になると思います。
ブルーシート等で応急処置を行う必要があると思います。宜しくお願い致します。
2018年04月07日
龍ヶ崎市佐貫町 岡 光邦 (79才)
初めて見学させていただきました。唯々涙があふれて、とまりません。
今の日本の幸せは、ここに眠る方々によるものだと思います。
2018年04月01日
千葉県市川市柏井町 森山ひろみ (45才)
一日の間に生と死があることが私には判りません。義父が特攻隊で生き残り帰ってきました。そして生き残ったことに罪を感じています。
毎日訓練や勉学に励み、最後は特攻作戦にて自らの命を国のため、未来の平和のために捧げてくれた皆様に、感謝の気持ちでいっぱいです。平和すぎるこの日本、皆様が望んでいた日本になりましたか。私はこのような日本の平和は目的ではなかったと思います。
もっと愛に満ち、思いやりのある日本になってほしいと思いここに参りました。
戦没の皆様の、お国への愛を感じ理解をしたく、またこちらに伺いたいと思っております。
2018年04月01日
千葉県市川市柏井町 森山加奈美 (16才)
まず館内の上段に飾ってある沢山の写真を見て、多くの方が国のために亡くなったんだなあと改めて感じ、予科練習生の戦いに行く前、皆で笑っている写真を見て複雑な気持ちだった。
戦うときに使った道具や時間の止まった時計など見て、朝方か夕方か、どん時間帯でどんな状況だったのかも考えた。
絶対に死んでしまうと判っていても戦いに飛び立つ前まで一生懸命訓練してきた日々も凄いなあと思った。自分と同じ年齢で飛び立ったなんて、まったく考えられない。しかし戦争は絶対にやるべきではない。
2018年04月01日
住所不明 小笠原裕樹 (45才)
小学四年生の子供と、七十六才の母と三人で見学に来ましたが、今の子供はおいしいご飯を食べ、スマホゲームばかりやっており、大変将来が不安です。
昨今の世界情勢をニュースで見ても、いつ戦争が起こるか世界中の人々が不安に思っていると思います。子供には年に一度、こちらで見学をして何かを感じて欲しいと願っております。
そして、貴記念館は大変貴重な場所と思っております。
2018年04月01日
茨城県取手市駒場 清水 諒 (24才)
私は、何回も予科練記念館を訪れているが、変わらないことは「自分と年齢の変わらない者の覚悟」である。
弱冠二十歳前後の若者が、戦争中という最中にありながら親に対し、兄弟に対し、覚悟をもって「自分の死」に向き合う事が感じとれる。戦争、ましてや命を犠牲にする「特攻」は風化されるものでも、美化されるものでもない。むしろ後世に悲惨な事実として残されるべきものである。戦後から70年以上経ち、若い私たちの間では太平洋戦争が、「昔話」となり特攻や予科練についても、その中の歴史の一コマとして捉えられている。
今の平和を享受できている事も、彼ら特攻隊員の尊い命の犠牲にあることは、決して忘れてはならない。なので自分を見つめ直す機会として今後も訪れたい。