私には、2歳年下の弟がいます。
子供のころは「やんちゃ」で人が「右」といえば「左」と主張し、「左」と言えば「右」という性格で、親戚からは「天邪鬼(あまのじゃく)」と言われ面倒くさがられていました。 地元の工業高校を卒業し大手企業に就職し家庭を持ち、二人の出来の良い娘を授かり定年まで勤めあげ、高卒ながら課長職まで勤め後輩からも慕われる存在でした。
長男であるにもかかわらず、仕事の都合で面倒を見ることができなかった両親の面倒を私に代わり20年見続けてくれた、多少天邪鬼だが頼りがいのある面倒見の良い優しい弟です。 その弟が、喉頭がんに侵され声帯の摘出手術をすることになりました。 手術を間近に控えた弟から送られてきたメールです。
「(前略)・・・・俺の場合、いま部分切除ではなく全摘出手術を行えば、今の声は失うが再発のリスクは軽減される(中略)・・・以上の事から昨日主治医に『全摘出手術を行います』と最終術式を伝えました。
自然と涙が溢れていました。 主治医も『勇気ある賢明な判断です』と言っていました。 最終決断をした今は、気持ちも楽になり不安感もなくなりました。今までは、周りが心配するので表面には出さなかったが、声を残すか命を取るか、気持ちの中でキツイ毎日でした。単純なことで命に決まっているが、頭では理解しても、気持ちがそれについていかない日々、苦しかったです。(中略)・・・・人間って欲が深いですね、初めは声を残したいと思っていましたが、気持ちが全摘出となったら、今度は手術が無事に終わるようにですからね。
今度のことで、ほんのちょっぴり特攻隊員の気持ちが分かった気がします。彼らも生と死の葛藤が凄くあったと思います。そして死を自分なりに取り入れた時、気持ちが楽になったのではと! 当然、彼らの気持ちと俺を比較すれば、俺の気持ちの葛藤など小さなものですが! でも大きく違う事は、彼らには「生の選択肢」はなく、俺には「生の選択肢」があったことです。 手術が成功したら、残りの人生、声は出ないかもしれないが、新しい人生を頑張って進んで行くつもりです。・・・(後略)」
雄翔館の玄関を入ると正面に「乙飛18期生同期生4人組」のレリーフが掲示されています。
彼らは矢田部海軍航空隊(茨城)を出発し、沖縄戦での特攻に参加するために鹿屋基地の近くにあった小学校の校舎を仮兵舎として出撃までの数日間を過ごしました。4人ともこの撮影の数日後、相前後して戦死しています。
「選択肢」のない死を数日後に控え、どうしてこんな笑顔で写真に写れるんだろうといつも不思議でした。でも、「選択肢のある」死に直面した弟からのメールを読んだとき、腑に落ちた感じがしました。
世の中には、弟のように大きな病を抱え闘い続けておられる方が大勢いらっしゃると思います。 複雑な社会環境の中で大きなプレッシャーに押しつぶされそうになっている方もいるでしょう。 厳しい「選択」を迫られた時、雄翔館・雄翔園を訪問されて戦没予科練生の声に耳を傾けてみてください。
新たな「選択肢」が発見できるかもしれませんよ。 (海原会理事)